はじめに:父との別れ
昨年10月、私の父が亡くなりました。
50代前半のサラリーマンである私にとって、親との別れは人生の大きな転換点でした。
子どものいない妻と二人で暮らす日常の中で、父の死は静かに、しかし確実に私の心に影を落としていました。
「夢に出てこない父」という現実
「大切な人が亡くなると夢に出てくる」
—— そんな話をよく聞きますよね。
でも、不思議なことに、父は一度も私の夢に現れませんでした。
オカルト雑誌「ムー」の愛読者である私は、父の霊と出会えるのではないかと密かに期待していました。
しかし、そんな出来事は一向に起こらず、気がつけば父が亡くなってから8ヶ月が経っていました。
父との思い出:遠くて近い存在
思い返せば、父との関係は複雑でした。
幼い頃は釣りやドライブに連れて行ってもらったものです。
しかし、高校生になると会話も減り、何となく距離ができていきました。
決して不仲だったわけではありません。
むしろ、ごく普通の父子関係だったのかもしれません。
そんな父が夢に出てこないことも、「霊感のない自分には当然のこと」と半ば諦めていた私でした。
意外な話:母からの報告
ところが今日、実家に住む母に会いに行った時、思いがけない話を聞くことになりました。
先日、母が父の入院していた病院に定期検査で訪れた際のことです。
父の担当だった看護師さんが母に声をかけてきたそうです。
「お父さんはまだ、お家にいますよ」
その看護師さんは「見える方」だったらしく、父の霊が今も実家に留まり、母を見守っているのだと言うのです。
驚きと安堵:父の存在を感じて
この話を聞いて、私は驚きと共に何か温かいものが胸に広がるのを感じました。
父が亡くなって8ヶ月。
てっきり天国に旅立ったものと思っていましたが、まだ実家に留まっているとは。
母一人が暮らす実家を、父は今も心配しているのでしょうか。
そう考えると、なんだか嬉しくなります。
入院中、口癖のように「家に帰りたい」と言っていた父。
今はきっと、思う存分家でくつろいでいるのでしょう。
成仏するのはもう少し先のことのようです。
霊の存在と感受性:私なりの解釈
ここで一つ、私なりの考えを述べさせてください。
父の霊を感じられない私ですが、それは霊が存在しないからではなく、単に私にその感受性がないだけなのではないでしょうか。
例えば、年を取るとモスキート音が聞こえなくなりますよね。
私は、霊の存在もこのモスキート音と同じような波長なのではないかと考えています。
おそらく、あの看護師さんは共感力が高く、亡くなった人の波長を感じ取れる特別な能力の持ち主なのでしょう。
一方、共感力が著しく低い私には、残念ながら父の存在を直接感じ取ることはできないのかもしれません。
新たな気づき:見えない絆の存在
この体験を通じて、私は「見えないもの」の存在について、改めて考えさせられました。
目に見えなくても、感じ取れなくても、大切な人との絆は確かに存在するのかもしれません。
父との思い出は、私の中で静かに、しかし確実に生き続けています。
そして今、実家で母を見守っている父の姿を想像すると、不思議と心が温かくなるのです。
おわりに:感謝と前進
最後に、この体験を通じて感じたことをお伝えしたいと思います。
私たちの人生には、目に見えるものも見えないものも、たくさんの絆で結ばれています。
たとえそれを直接感じ取れなくても、その存在を信じ、感謝する気持ちを持ち続けることが大切なのではないでしょうか。
父との別れは確かに悲しいものでした。
しかし今、父が母を見守っていると知り、不思議と心が軽くなりました。
これからは、見えない絆にも思いを馳せながら、前を向いて歩んでいこうと思います。
皆さんも、身近な人との絆を大切にしながら、目に見えない存在にも心を開いてみてはいかがでしょうか。
きっと、新たな気づきや安らぎが得られるはずです。
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