「お墓よりも宇宙を」~子無し夫婦が考える最期の居場所

2024年9月2日月曜日

終活

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夕日が沈む美しいお墓の画像

はじめに:変わりゆく「お墓」の概念

皆さん、こんにちは。

今日は少し重たいテーマかもしれませんが、「お墓」について私の思うところを綴ってみたいと思います。

最近、お墓の形も多様化していますよね。

従来の墓石だけでなく、樹木葬や海洋散骨、納骨堂など、選択肢が増えています。

でも、私たち夫婦にとって、実はどれも必要ないんです。

なぜそう考えるのか、少しお付き合いください。

家族の歴史とお墓じまい

私の父方の田舎には、曽祖父の代からのお墓があります。

長い間、私たち家族の歴史を見守ってきた場所です。

しかし、母が亡くなったら、このお墓もじまいにする予定です。

正直なところ、私たち夫婦がそこに入るつもりは全くありません。

伝統的な「家」の概念が薄れつつある現代、先祖代々のお墓を守り続けることの意味を、子供のいない私たちは見出せないでいるのです。

無名のサラリーマンに「お墓」は必要か

私は普通の、名もない一サラリーマンです。

子供もいません。

甥や姪はいますが、最近は疎遠になっています。

こんな私が死んだ後、誰がお墓参りに来てくれるでしょうか。

何十年後かに亡くなった時、わざわざ足を運んでくれる人がいるでしょうか。

正直、その可能性は極めて低いと思います。

だからこそ、私はお墓にこだわりません。

今住んでいる自治体の共同墓地に埋葬してもらえれば十分だと考えています。

お墓の本当の意味を考える

ここで少し立ち止まって考えてみましょう。

そもそも、お墓は本当に必要なのでしょうか?

もし本当に故人を悼むのなら、物理的な墓の存在は必ずしも必要ではありません。

その人のことを心の中で思い返すこと。

それこそが真の供養になるのではないかと、私は考えています。

魂の行方と小さすぎる「お墓」

「もし人が死んだ後に魂が残るとしたら・・・」

私の魂は、小さな墓石の中にいたいとは思わないでしょう。

実は私、日頃から宇宙のことを考えるのが好きなんです。

地球を飛び出し、宇宙の果てや、さらにその外側を見てみたい。

そんなことを想像するのが趣味みたいなものです。

そんな私にとって、お墓はあまりにも小さすぎるのです。

魂が自由に宇宙を漂えるのなら、それこそが私の望む「最期の居場所」なのかもしれません。

おわりに:それぞれの「最期の居場所」

ここまで読んでくださり、ありがとうございます。

私の「お墓は必要ない」という考えに、違和感を覚えた方もいらっしゃるかもしれません。

でも、これはあくまで私個人の考えです。

お墓に大切な意味を見出している方々を否定するつもりは全くありません。

むしろ、それぞれが自分にとっての「最期の居場所」を自由に選べる時代になったことを、私は肯定的に捉えています。

墓石であれ、樹木葬であれ、海洋散骨であれ、はたまた共同墓地であれ。

それぞれの選択に意味があり、尊重されるべきだと思うのです。

人生の最後の選択。

でも、それは実は私たちの生き方そのものを表すものなのかもしれません。

今を精一杯生きながら、たまにはそんなことを考えてみるのも悪くないですよね。

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自己紹介

松之助といいます。5歳年上の妻とおふたりさま暮らしをしているアラフィフ会社員です。 子どもがいないおふたりさま夫婦の日常や終活などを分かりやすく紹介します。

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